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韓国のホームページをのぞいてみると・・・・・・

ウリには、偶然に幸運が降り注ぐニダ!マンセー!

某掲示板なんかを読むと、韓国人が、狂ったように、日本の調査捕鯨を非難していますが、韓国でも、鯨食べるんですがね。
どういうわけか、「偶然にかかったニダ」と言っているようですね、彼ら。
蔚山で鯨肉違法流通、国際問題化の恐れも
「IWCが“なぜ韓国だけクジラがこんなに漁網にかかるのか、理由を説明せよ”と求めており、国際的なイメージの低下が心配だ」

まぁ、海のロトと呼ばれているらしいですからね、韓国では。
それにしても、まぁ、コソコソとやるのが大好きな国のようですな。
# by gogoreds_31 | 2008-01-17 01:18

チョッパリと和解してやる時が来たニダ!

いやぁ、今、韓国は、ノ・ムヒョンの失政で随分不景気なようですが、本格的に韓国の日本へのすり寄りが始まったようです。
今まで、あれだけ苛烈な反日をやっておいて、自分の都合だけで、「仲良くするニダ」だそうですよ。
笑わせるな、バーカ、としか言えませんがね。
韓国-日本は根がひとつの同じ民族,太陽族子孫
市国家連合体である伽揶(太陽民族.光明の民族)の一不足だった新羅が競走の方で高句麗から独立新羅を作るようになって,昔の街は酸っぱいと言う時もう日本シマの現の方で渡って暮していた “昔脱解”(日本シマの現生まれ) が新羅の 2大王南海チァチァウングの壻になって儒理王の次で王になった.この時は日本この皆高句麗.百済.新羅.伽揶の地だった.

▲江東民理事長
一方新羅は朴.石.金さんに帰りながら賃金を引き受けてしている途中 16台フルヘィ王の時,金ナムル王が革命を起こして王権を握るようになったし,三フルヘィ王と息子も殺されて孫の中で一つがわずか暮して日本シマの現伊豆麻故郷に帰るようになってから韓-日関係が根本的に狂い始めたと私は見る.

あの時から新羅に恨みを晴らすことは釈氏一族たちの日本内での活動は,新羅の王だった貴い身分を先に立たせて,日本政府のすべての財産を管理する職責を引き受けるようになったら自然が権限が多くなって権力を振り回して天皇までも夢を見た,釈氏王族である蘇我一族(蘇家一族)の 300年映画は,国務代わり兼財務長官職責まで引き受けて,新しい天皇たちを擁立する度に深く関与したし,百済と手を握って新羅が買う事ができないaのがかきであり三さん王権回復と新羅王権転覆の機会を狙ってすごく努力した.(私たち先祖が立てた日本国 : 朴屏息私参照)

新羅が半島百済を滅亡させた以後,文武王 2年西紀662年に釈氏王族の財産(ボンピグング)を沒収して,半分は国庫に入れて,残りをキム・ユシンと金人文に分けてやった事実があった.これは新羅が,王座で追い出された釈氏王族が,百済と手を握って 250年間も新羅を苦しめた事に対する仕返しだった.

西紀 681年 7月新羅文武王が世を去った.彼は最後の死ぬ席で,自分の死体を東海入口にある貸し席上に葬りなさいと遺言こんにちはだった.感恩寺(感恩寺)に残っている記録によれば,海の竜になって倭軍を阻むとなっていると言う.文武王のこのような遺言を言わなければならない理由は,まさに彼の手で角い迫害をたいてい,釈氏王族の仕返しが恐ろしかったからだったと悟らなければならない.

朝鮮王朝先祖25年 1592年壬辰の乱が 6年間続いて 1598年終わるまで日本の朝鮮侵略がしつこく続いたし,その後日本の国力が強まる時なら必ず侵略の本性を現わしたりした.また一日帝強点期 35年は大韓帝国を徹底的に踏み付けて苦しめた現代史だが,振り返えて考えて見れば,昔の伽揶を吸収した新羅を憎んで “様の国 (任那: 伽揶)”を失ったという悲しみと釈氏王朝の恨みに満ちた仕返しこの重なった業報ではないか?甚だしく気が重くなることを感じる.

神様を “アリラン” と歌う空の直系子孫であり,自ら太陽だと表現する,言語が同じで根がひとつの,同じ民族,太陽族子孫たちのけんかがいつまで続かなければならないが.いつ頃終りが補だろう.両国の仲直り精神と容赦 .寛容この花を咲かせる時がなった.もうこれ以上お互いに憎まない!お互いに許そう!お互いに愛しよう!昔の先祖たちの弘益人間精神だけが唯一の解決策になることができるようだ.

「 もうこれ以上互いに憎まない! 互いに許そう! 互いに愛しあおう!」って、気持ち悪いんですよね。日本にベタベタとストーキングしている癖に。
ま、また何かの拍子に反日が始まるに決まっていますわ。
# by gogoreds_31 | 2008-01-14 23:17

チョッパリが早く援助すれば、こういう事にならなかったニダ!

あぁ、ウリナラマンセーしていたのもつかの間、こういう事になってしまったようです。
さすが韓国人。
原油流出事故のタール、済州島北まで拡大
今度は、「ウリナラはこんなにかわいそうニダ!」と大絶叫するか、いつの間にか、「救援をすぐに送らなかったチョッパリが悪いニダ」と言いそうですね。
# by gogoreds_31 | 2008-01-14 18:13

チョッパリのオリジンはウリナラサラムニダ!

この記事を読んでいて、久しぶりに頭がクラクラしてきました。
"日本と言う(のは)国号は元々韓国人が使ったこと"一生研究した日本研究大公開
 最近(2003年6月23日)、日本の共同通信が以下のようなとてもおもしろいニュー-スを
伝えた。
 「東京大学医学部人類遺伝学教室徳永勝士教授は、人間の第六染色体内に存在する
HLA遺伝子群を利用してヒト遺伝子(ゲノム)を比較研究した結果、日本の本土人と一番
近い集団が、韓国人と中国に居住する朝鮮族に推定される、という結論に到逹した。
徳永教授は、日本人、韓国人、中国朝鮮族、満州族、モンゴル族など、12の民族(集団)を
比較分析した結果、日本の本土人は沖縄人や北海道の「アイヌ」族より韓半島(朝鮮
半島)に住む韓国人と中国の朝鮮族に一番近かったと明らかにした。
 日本の本土人に一番多く現われるHLA遺伝子型はHLA-B52-HLA-DR2で、北九州
地方から山形県に至るまで12%以上存在し、モンゴル人には5~8%現われた。一方、
HLA遺伝子は沖縄人では2%、アイヌ族では1%に留まった。この研究結果は、7月に東京
大学出版部が出版予定である公開講座叢書に収録される予定だ。
 一方、鳥取大学医学部井上貴央教授チームは、稲作導入と青銅器伝来に象徴される
弥生時代に生活した人々のDNAが現代韓国人のそれと一致する、という研究結果を
出した。鳥取大研究チームは弥生時代の遺跡である鳥取県青谷上寺の寺跡から出土
した弥生人の遺骨のミトコンドリアDNA塩基配列を分析した結果、このような結論を得た。
研究チームは、弥生人遺骨29体のうち7体からDNAを抽出することに成功した後、4体の
ミトコンドリアDNA塩基配列を確認する過程で、これらが韓国の現代人及び本州の
日本人と等しいグループに属する、ということを明らかにした。
 日本の人々は、西暦770年頃から今日に至るまでの長い歳月にかけて、「日本列島に
住んでいる人々は列島で生まれたし、日本列島の外にいる人々とはどんな血縁関係も
ない天孫だ」と主張して来た。しかし、もはや動かすことができない遺伝学的証拠の
浮上に、彼らの虚無孟浪な主張は、これ以上できなくなってしまった。遅すぎる感は
あるが、彼らは好むと好まざるとにかかわらず私たちと同じ血を分けた韓民族である
ことを認めざるを得なくなったのだ。
 (筆者は日本天皇家を一生研究してきた歴史学者。日本の大学で教授を務め、著書に
『日本語の悲劇』『日本語の発見』など20冊余りがある。現在は韓民族文化研究院学術
顧問。)

 このような事実は、彼らが常にあげる古事記や日本書紀を含む彼らの古文書を
先入観のない目で読めば、前から分かっていた明らかなことだった。まず、古事記と
日本書紀に書かれている建国神話から見て見よう。「天の国から下った天孫」瓊瓊杵尊
(ニニギノミコト)一行は、鹿児島県野間半島の端に至って「笠狭崎の前を通り過ぎようと
したところ、ここは加羅国(=加耶国)に向かっているだけではなく、朝日が燦爛と射し、
残光も美しく映える所だから非常に良いと言って、その場所に大闕を作って定着した。」
 この記録は、天孫瓊瓊杵尊とその仲間が、親兄弟を残して来た故郷、カラ(加羅=
加耶)をしのぶ心情をよく表現した記述だ。その上に、彼らは彼らが定着した地域で
一番高い山をカラクニダケ(韓国岳)と呼んで今日に至る。それだけではない!皇室は、
古代から宮中に韓神を奉じて仕えて、毎年春と秋の二回、韓神祭を行っている。西暦
927年に、当時の国務総理の位だった藤原忠平が編纂した延喜式には、韓神祭を執り
行なう時、祭床にあげる祭物の種類と祭祀の手続きが詳らかに記述されていて、近年に
至っては、春に行う韓神祭の2月21日を建国記念日に制定して、皇室のみならず、
全国民が祝祭を執り行なっている。
 天孫と言う皇室がカラ(加羅=加耶)から来たカラゾク(加羅族=加耶族)でないなら、
どうしてこんな事があり得るだろうか?加羅族(=加耶族)が開拓した日本列島が、
独立して自治領になって、自ら'ヤマト(日本)'と名乗り始めたのは、西暦663年、
百済が滅亡した後からだ。「ヤマト(日本)」は、元々'魏志'に記録されている邪馬国を
示す名前であり、慶北高霊地方を中心に盛んだった加羅(=加耶)の宗主国「ウガヤ
=上加耶」を指す。すなわち自治領になった日本列島に暮すようになった彼らは、
彼らこそ宗主国「ウガヤ=上加耶」を継承する国であることを主張したことが分かる。
 吉田東伍が発行した『大日本地名辞書』の'国号論'と、そして、明治三十三年正月に
発刊された'歴史雑誌'第十一篇一号に、次のように書かれている。*'日本'という国号は、
元々韓国人らが早くから使って来たものだが、我が国がその名前が美しいから国号に
決めた。(伴信友)*'日本'という文字は上古から使ってきた'ヒノモト'という言葉に、漢字を
あてて使ったものであり、'日本'という名前そのものは三韓の人々が始めたものだ
(星野恒)*'日本'という国号は、元々韓国人らが使ったのだ。それが我が国の国号により
適切だから万世不変の呼称になった。(木村正辞)
 明治時代のすぐれた碩学らが口をそろえて証言しているように、'日本'という名前は
韓民族がずいぶん前から使ってきたものを、百済の属領だった列島の人々が、独立した
時からそれを国号にしたことが分かる。'日本'と漢字で書いた名前は、列島の人々が
独立した時には'ヤマト'と書いていたところ、近世に漢字音で読むようになってから、
私たちの言葉で'日本'と読むようになったので、それを音に移した'ニッポン'と言うが、
今は'ニホン'と発音する人も多くなった。明治初期に、それを直して'ニッポン'と直して
発音するように緊急国語審議会を開催して決議した。その後、公式文書には'ニッポン
Nippon'と使われるが、一般では今も相変らず'ニホンNihon'が混用になっている。

なんちゅうか、完全にトンデモ本の世界だとしか思えないんですが。
日本人は朝鮮半島と関係ないと言っていたが、ヒト遺伝子を解明したら、関係あったニダ、と言っているようですが、「だから何?」としか言いようが無いんですよね。
しかし、日本語ウリナラ起源説と言い、無理矢理韓国と結びつけようとするのは、勘弁して欲しいですね。今の韓国人を見ていると、なおさらそのように感じますわ。
# by gogoreds_31 | 2008-01-14 18:11

今回はチョッパリを大目に見てやって、関係を回復してやっても良いニダ!

自らの都合で勝手に中断し、また、政権が変わったから、勝手に再開しようとしているようですね。
シャトル外交。
<グローバルアイ>韓日シャトル外交を成功させるには
まぁ、こいつらが、こういう事を抜かしているうちは、友好なんて半万年無いでしょうね。
しっかし、こいつら、本当にバカだよなぁ、あれだけヒステリックに大騒ぎしている時ですら、日本では、日韓友好年というお笑い草なイベントが開かれていたんですがね。
こいつらが、偉そうに、「暖かい気持ちでチョッパリを」なんて上から目線で言っているようでは、問題外ですな。顔を洗って出直してこい、と韓国人に言ってやりたいですね。
# by gogoreds_31 | 2008-01-09 23:12