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韓国のホームページをのぞいてみると・・・・・・

チョッパリのオリジンはウリナラサラムニダ!

この記事を読んでいて、久しぶりに頭がクラクラしてきました。
"日本と言う(のは)国号は元々韓国人が使ったこと"一生研究した日本研究大公開
 最近(2003年6月23日)、日本の共同通信が以下のようなとてもおもしろいニュー-スを
伝えた。
 「東京大学医学部人類遺伝学教室徳永勝士教授は、人間の第六染色体内に存在する
HLA遺伝子群を利用してヒト遺伝子(ゲノム)を比較研究した結果、日本の本土人と一番
近い集団が、韓国人と中国に居住する朝鮮族に推定される、という結論に到逹した。
徳永教授は、日本人、韓国人、中国朝鮮族、満州族、モンゴル族など、12の民族(集団)を
比較分析した結果、日本の本土人は沖縄人や北海道の「アイヌ」族より韓半島(朝鮮
半島)に住む韓国人と中国の朝鮮族に一番近かったと明らかにした。
 日本の本土人に一番多く現われるHLA遺伝子型はHLA-B52-HLA-DR2で、北九州
地方から山形県に至るまで12%以上存在し、モンゴル人には5~8%現われた。一方、
HLA遺伝子は沖縄人では2%、アイヌ族では1%に留まった。この研究結果は、7月に東京
大学出版部が出版予定である公開講座叢書に収録される予定だ。
 一方、鳥取大学医学部井上貴央教授チームは、稲作導入と青銅器伝来に象徴される
弥生時代に生活した人々のDNAが現代韓国人のそれと一致する、という研究結果を
出した。鳥取大研究チームは弥生時代の遺跡である鳥取県青谷上寺の寺跡から出土
した弥生人の遺骨のミトコンドリアDNA塩基配列を分析した結果、このような結論を得た。
研究チームは、弥生人遺骨29体のうち7体からDNAを抽出することに成功した後、4体の
ミトコンドリアDNA塩基配列を確認する過程で、これらが韓国の現代人及び本州の
日本人と等しいグループに属する、ということを明らかにした。
 日本の人々は、西暦770年頃から今日に至るまでの長い歳月にかけて、「日本列島に
住んでいる人々は列島で生まれたし、日本列島の外にいる人々とはどんな血縁関係も
ない天孫だ」と主張して来た。しかし、もはや動かすことができない遺伝学的証拠の
浮上に、彼らの虚無孟浪な主張は、これ以上できなくなってしまった。遅すぎる感は
あるが、彼らは好むと好まざるとにかかわらず私たちと同じ血を分けた韓民族である
ことを認めざるを得なくなったのだ。
 (筆者は日本天皇家を一生研究してきた歴史学者。日本の大学で教授を務め、著書に
『日本語の悲劇』『日本語の発見』など20冊余りがある。現在は韓民族文化研究院学術
顧問。)

 このような事実は、彼らが常にあげる古事記や日本書紀を含む彼らの古文書を
先入観のない目で読めば、前から分かっていた明らかなことだった。まず、古事記と
日本書紀に書かれている建国神話から見て見よう。「天の国から下った天孫」瓊瓊杵尊
(ニニギノミコト)一行は、鹿児島県野間半島の端に至って「笠狭崎の前を通り過ぎようと
したところ、ここは加羅国(=加耶国)に向かっているだけではなく、朝日が燦爛と射し、
残光も美しく映える所だから非常に良いと言って、その場所に大闕を作って定着した。」
 この記録は、天孫瓊瓊杵尊とその仲間が、親兄弟を残して来た故郷、カラ(加羅=
加耶)をしのぶ心情をよく表現した記述だ。その上に、彼らは彼らが定着した地域で
一番高い山をカラクニダケ(韓国岳)と呼んで今日に至る。それだけではない!皇室は、
古代から宮中に韓神を奉じて仕えて、毎年春と秋の二回、韓神祭を行っている。西暦
927年に、当時の国務総理の位だった藤原忠平が編纂した延喜式には、韓神祭を執り
行なう時、祭床にあげる祭物の種類と祭祀の手続きが詳らかに記述されていて、近年に
至っては、春に行う韓神祭の2月21日を建国記念日に制定して、皇室のみならず、
全国民が祝祭を執り行なっている。
 天孫と言う皇室がカラ(加羅=加耶)から来たカラゾク(加羅族=加耶族)でないなら、
どうしてこんな事があり得るだろうか?加羅族(=加耶族)が開拓した日本列島が、
独立して自治領になって、自ら'ヤマト(日本)'と名乗り始めたのは、西暦663年、
百済が滅亡した後からだ。「ヤマト(日本)」は、元々'魏志'に記録されている邪馬国を
示す名前であり、慶北高霊地方を中心に盛んだった加羅(=加耶)の宗主国「ウガヤ
=上加耶」を指す。すなわち自治領になった日本列島に暮すようになった彼らは、
彼らこそ宗主国「ウガヤ=上加耶」を継承する国であることを主張したことが分かる。
 吉田東伍が発行した『大日本地名辞書』の'国号論'と、そして、明治三十三年正月に
発刊された'歴史雑誌'第十一篇一号に、次のように書かれている。*'日本'という国号は、
元々韓国人らが早くから使って来たものだが、我が国がその名前が美しいから国号に
決めた。(伴信友)*'日本'という文字は上古から使ってきた'ヒノモト'という言葉に、漢字を
あてて使ったものであり、'日本'という名前そのものは三韓の人々が始めたものだ
(星野恒)*'日本'という国号は、元々韓国人らが使ったのだ。それが我が国の国号により
適切だから万世不変の呼称になった。(木村正辞)
 明治時代のすぐれた碩学らが口をそろえて証言しているように、'日本'という名前は
韓民族がずいぶん前から使ってきたものを、百済の属領だった列島の人々が、独立した
時からそれを国号にしたことが分かる。'日本'と漢字で書いた名前は、列島の人々が
独立した時には'ヤマト'と書いていたところ、近世に漢字音で読むようになってから、
私たちの言葉で'日本'と読むようになったので、それを音に移した'ニッポン'と言うが、
今は'ニホン'と発音する人も多くなった。明治初期に、それを直して'ニッポン'と直して
発音するように緊急国語審議会を開催して決議した。その後、公式文書には'ニッポン
Nippon'と使われるが、一般では今も相変らず'ニホンNihon'が混用になっている。

なんちゅうか、完全にトンデモ本の世界だとしか思えないんですが。
日本人は朝鮮半島と関係ないと言っていたが、ヒト遺伝子を解明したら、関係あったニダ、と言っているようですが、「だから何?」としか言いようが無いんですよね。
しかし、日本語ウリナラ起源説と言い、無理矢理韓国と結びつけようとするのは、勘弁して欲しいですね。今の韓国人を見ていると、なおさらそのように感じますわ。
by gogoreds_31 | 2008-01-14 18:11